tuduramachiの日記

日々の生活の中からITの問題解決を探る

反実思考

反実思考とは、実際起こったことと別のことを考えること。

例えば花子が実際結婚したのは太郎であった。ところが花子は新婚旅行から帰ってきた日に太郎と結婚してしまったことを深く後悔する。そして彼女は次郎と結婚していればよかったと思う。次郎との結婚は実際に起こったことではないので、そう考えることは反実思考である。

これらは日常的にあちこちで、つまり古今東西の場所において頻繁に繰り返されている。それは想像力の産物であるが、たいてい後悔の感情を伴い、現実に近い事象を想像するので想像の産物であるとは気づかないのだ。

そこで後悔の感情から解き放って、自由に想像力を働かせて、現実とは別のことを考えてみよう。私たちが電車に乗ると何種類かのカテゴリーに属する人々が見られる。若年サラリーマン、OL,おばさん、小学生、中学生、高校生、年配サラリーマン、女学生、といった具合に。とりわけ女学生は特別な存在だ

そのファッションは独特なものであり、ファッションそのものが強烈に自分たちがなんであるかを周囲に発信している。それは十年程変わらない風景で在り、電車の中のそのカテゴリーに属した10年前の人物は今では別のカテゴリー例えばOLとか主婦といったものに属している。だから電車の中の女学生ファッションというものは一つの陳列棚の商品のようにも思える。10年間そこにあった花火は中身が入れ替わっているのに依然としてあるのだ。それは10年間同様に周りに若さと色気を振りまき、希望や悩みを抱えて、異性を意識して、枠の中で精いっぱいおしゃれをして。それが別のものだったらと考えてみよう。例えば日本はイスラム教国家であったと。すると女学生ファッションは今のようなものではなかったはずだ。女性は頭巾をかぶって、場合によっては口元をも覆い、スカート丈もミニではなく床まで届く超ロングなもので、色は黒が主流であったろう。社内でおしゃれなバッグを開け、化粧道具を手にする代わりにコーランをもって読んでいただろう。湿気の多い夏にも肌を見せないために全身を布で覆っているのだが

所々に通風のためにメッシュ地を使っていることだろう。ヘアスタイルというものも頭巾で覆われているため人に見てもらうことはできない。それは尼かくノ一のようにすっぽりと覆われたもので区別できるのは布の間から覗いている目だけなのだ。