謎が謎のままで終わるのは何故か
昨日は原付の自賠責保険更新手続きをセヴンイレヴンでしました。
シールと保険証明書はすぐにもらえましたが
シールを貼るべきナンバープレートに歪みがあり、この際
ナンバープレートも新調しようと思い、市の税務課に問い合わせたところ
新調すると番号が変わってしまうとのこと。
今度は保険会社に電話したら変更手続きは可能ということで
自賠責証明書と実印、免許証
それに標識交付証明書のコピーを持参すれば記録されたナンバープレートの
番号を変更できるとのこと。
この場合あきらめて歪んだ古いナンバープレートにシールを貼れば
面倒な手続きはしなくても良いのですが
歪んだプレートに貼られたステッカーは剥がれおちるかもしれないし
一度盗難にあって外されボコボコに歪んだプレートをそのままひきずっていくのも
よくないなとおもうわけなのです。
この事は謎が謎である理由でもあるわけです。
つまり
謎を探求するのは結構面倒な事であります、そして謎は解明された時に
もはや謎では無くなってしまうのです。
従って謎が謎として生き残っているものは誰にも解明できないような
解明するのが困難な事ということになります。
でも検索エンジンのおかげで、自分には謎であっても意外に簡単に手早くわかってしまう
という時代でもありますね。
昨日もベビーテントを畳もうとしてちいさなバッグに入れられずに
困っていましたが検索エンジンで直ぐに解説動画にたどり着き
問題は解決しました。
便秘で困っているなら、色々いいものが出ていますが
こちらはオススメですね。
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