若者の貧困
人間の意識というものはある種ホームページのようなものである。それは書き換えられるまで同じ情報を保持し続ける。
いわゆる固定観念というやつだ。昔世界は平らな平面上にあると考えられていたらしい。しかしあるとき、誰かがそれは平面ではなく球面なのだと言ったとき固定観念は覆される。そしてある者にはパラダイムシフトが起こり意識がというか、認識が変わる。そうだったのか地球は平面ではなく球面だったのだと。
かつて、日本は世界第二位の経済大国と言われた時があった。しかし今では第三位に甘んじて居る。今ではおじいちゃんおばあちゃんになっている団塊世代の若かりし頃は
学校を出ると一人の人間に三社ぐらいの求人があるといったこともあった。
年々月給は上がるのでローンで家や車を買うのは当たり前の話であった。
仕事はあるので働きさえすればよかった。物価も今と比べると安かった。そういう記憶のある段階の世代から今の若者を見るとき、月給二十万ももらえば楽に暮らしていけるだろうという考えは、一昔前の記憶にのっとっているので間違ったものの見方になっているのではあるまいか。
一万円の価値が下がっている。昔は一万円でいろんなものが買えたし、使い道もあった。歌の文句に『月給一万三千六百円』というのがあったくらいだ。
だからいまでは、大卒の初任給二十万などと言っても、そこからアパート代、光熱費、食費、税金、水道、NHK,など引いていくといくらも残らない。車を割賦で買おうものなら、維持費と月々のローンで食費もままならないだろう。
これはお金の値打ちが下がっているのに年金や給料がそれに見合ったものになっていないからだ。給料を上げれば物価も上がりそれが続けばインフレになるのは目に見えている。かろうじてインフレ(現実にはインフレになっている)に見えないのは貧困層が金が使えないから車が欲しくともあきらめてしまったり、消費を極力切り詰めざるを得ないからである。
それを最近の若者は欲がないなどとわかったようなことを言うのは、そいつの頭の中は過去の良き時代の名残が基準になっているからで全く的を得ていない。